ひょっこりアメリカ便り 2012                   アキコ ヒラノ スインデル
(ふるさとのフリーペーパーSUNDAY柳井(発行部数41,500部)で連載しています)

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Vol.58 救急車はお高い

 去年の夏、娘が幼稚園で腕を骨折した話を紹介したが、全治2ヶ月の診断にもかかわらず娘の腕は1ヶ月あまりで治ってしまった。若さってスバラシイ(&うらやましい)。
 
そうして我が家に届いた医療費の請求書。自己負担分の合計がなんと2500ドル。今は超円高だがアメリカで暮らす者にとっては1ドル100円が実感なのでそれで換算すると、25万円なり。チーン!
 このうち最も大きな金額が、救急車代の962ドル(9万6千円)。全額自己負担だ。ええ==っ、救急車にお金がかかるん=!?? はい、日本のように救急車はタダっての、世界的には少数派だそうです。アメリカの救急車は民間会社の営利事業で、いろんなデザインがあるし「サイレン鳴らしたら追加料金なんぼ」まで取られるらしい。逆に言えば、アメリカで救急車を無料にしたら足がわりに利用されて、本当に必要な人が使えなくなるだろう。
 で、この25万円也をとりあえず払い、領収書等を集めて、骨折事故が起きた学校(幼稚園含む)に返金申請した。その後、何の音沙汰も無いので、夫と二人で「これでお金が返らなかったらどうするの」「弁護士たてて裁判だね。そうすると弁護士費用もかかるし、我々が慰謝料なんかいっさい請求してない今のうちにお金を返すほうが学校としても得なんだけどね」などと話していたら、1ヵ月後、全額返金の通知が突然届いた。
 皆様も我が家もこの一年、どうぞ安全に過ごせますように。
チャールストンの蒸し暑湿地帯でもギプスで過ごした娘
(2012年1月)



Vol.59 グランドキャニオン鉄道の乗客たち

 アメリカ観光地のスーパースター、グランドキャニオン。アリゾナ州ウィリアムズからグランドキャニオンまでの2時間、全席指定のグランドキャニオン列車でいささか劇的な乗客たちと居合わせた。
 最初に、10歳くらいの少年が顔をくしゃくしゃにして乗り込んできてウオウウオウとほえ始めた。これが収まると車両付きの車掌がマイクで説明を始めたが、それをかき消す乗客たちの大声おしゃべり、子どもと大人が交わすほえ声ごっこ・・・ここは動物園かっ!!
 2000mを超える標高で空気が薄く、私はずっと頭痛がしていたのだが、アメリカ人たちのこのモーレツパワフルな乗車態度にほぼ白目をむいて席にへたりこんでいた。
 すると到着間際、この列車の総車掌とでもいうようなヒトがやってきて「どうかお静かに穏やかにお過ごしください。でないと帰りの列車に乗せてやんないよー」とお叱りの言葉。それでようやく車内は静まったのだが、後で夫に詳細を聞くと、実は深い事情(笑)があったのだ。
 まず初めにほえた少年、これが人生初めての列車体験でビクビクしていたところ、列車付きのハーモニカ芸人に「ジェットコースターみたいだよ!」と冗談を言われパニクった。それに怒った少年の母親と他14名の一族が放送禁止用語連発で無教養なブータレ会話を続け、すると今度は他の乗客からクレームをつけられたのだ。
 人生サマザマ、いろいろな人々を乗せ、今日もグランドキャニオン列車は走ってる・・のだろうなあ。
グランドキャニオンは雪だった。
(2012年2月)




Vol.60 アメリカの学校はお情け無用

娘が、学校を停学になった。5歳でキンダーガルテンに入学して3ヶ月、速攻の停学である。
 理由は、仲良しの男の子とかくれんぼをしていて、彼を見つけて手をつかんだとたんに噛んでしまったという暴力行為である。娘は赤ん坊の頃から噛み癖があるわけでもなく、どうしてこんなことをしたのか本人にもわからないというありさまだったが、いろいろな事がらを組み合わせてみて、「彼を愛するあまり、ツイ・・・」という事情が浮かび上がった。
 だが、アメリカの学校は“不寛容”をモットーに運営されている。問答無用、情状酌量いっさいなしのお咎めだ。これは、30年ほど前、アメリカで校内暴力の嵐が吹き荒れた時に「もう、もう許さないんだかんね!!」と青スジ決定されたらしい。
 だから、例えば小学1年生の子が学校にフォークと“ナイフ”付きのキャンプ用の食器を持っていったら、この子は初め、問題児のための専門施設に送られるところだったが、教育委員たちの慎重な会議により停学処分だけで済んだという、なんとも汗笑汗な全米ニュースになってしまったのである。
 我が娘は明白な暴力行為(噛んだ手から出血はなく、噛み跡も残らなかった)なので二日間の停学となったが、ついでに校長の至上命令。「男の子と遊ぶのは火曜と木曜、残りの日は女の子と遊ぶように」。5歳児にそれは無理だろう!!
 
娘にはよくよく言い聞かせ、暴力行為はもとより言葉使いにも注意させているが、アメリカの学校は、厳しくも不可思議なところである・・・
停学後、ぎりぎりセーフで参加できた学校の感謝祭
(2012年3月)



Vol.61 三人目の妻

 夫の母は9年前、15年の闘病の末に他界した。50年以上連れ添った最愛の妻を亡くし、夫の父(私の義父)は傍目にも心配になるほど悲しみにくれ、落ち込んでいた。
 ら、一年もたたないうちに再婚してしまったので周囲はビックリ。新しい妻はやはり何年も前に夫を亡くした同郷の女性で、その亡夫というのは義父の亡妻と兄妹、つまり昔からの親戚なのである。
 夫の弟夫婦はこの結婚についてあまり良い印象を受けなかったようだが、私と夫は素直に喜んだ。義父は悲しみから抜け出し、生活をエンジョイし始めたからだ。この結婚が、義父を生き残らせてくれた・・・それだけで大感謝。小金もちの義父は新妻の貧しい子孫たちの生活を援助してやり、お互いに幸せなことだった。
 が、それからわずか数年後、この二番目の奥さんは交通事故で突然に亡くなってしまった。健康がとりえだった彼女を失った義父の悲しみはさらに深い。
 ら、すぐに義父は三番目の妻を見つけた。小中学校で同級生だった女性である。80歳近いこの女性は美人で若々しく、子どもはいないし自身もお金はあるので遺産問題は無い(と本人が言った)。
 義父は、愛する女性が出来るときちんと結婚しなければ気がすまない、昔かたぎの人間である。しかも、子どもたちに心配をかけず人生を楽しもうという前向きな独立心がある。私と夫はそう思っている。春は、人生のいつにでも来るのだ。
60年前の義父母(写真左の二人)の青春写真
(2012年4月)




Vol.62 訪問販売被害にあわないで

 ちょうど一年前の今頃、帰省した私は警察のお世話になっていた。一人暮らしをしている母が認知症になり、訪問販売業者たちからあっという間に全預金を奪われてしまったのだ。払いきれない分は年金を取り立てられ、母はNTTに電話を止められるまでに困窮した。
 被害者が認知症では警察への届すらできない(事件として立件できない)、また、母にはもう自分自身の生活を守れないということで、私は母の成年後見人を申請。裁判所に決めてもらった後見人弁護士とともに正式に警察へ届け、訪販業者たちを裁判に訴えた。
 介護認定も受け、今の母は地元の優秀な社会福祉協議会と日本の介護保険制度に守られて、なんとか安全で、悪徳業者に取り囲まれていた時よりもずっと明るく生き生きした毎日を送っている。
 だが、訪問販売被害の後始末は、精神的にも体力的にも、そして経済的にもたいへんな負担がかかり、しかもその苦労が報われることは少ない。
 そんな悲しみと怒り、他の方々には私のような「失敗」をしていただきたくないという思いから、四コマ漫画に私の体験を描き、ブログで公開している。昨年初めから毎日更新して、今月の終わりには母の事件漫画は200話に、アメリカ暮らし漫画はそれ以上になるはずだ。あえてギャグめかして描いている拙ブログの4コマ漫画「アメリカは今日もアレだった」
http://ameblo.jp/amerikawa/  が皆さんの他山の石となれるならば不幸中の幸いです。
こんなコテコテの絵柄です。
(2012年5月)



Vol.63 正気を保たせてくれるもの

 先月の記事で、私の母が認知症になり訪問販売被害に遭ったと書いた。
 これに気づいたのは一昨年の秋だが、それ以来これらについて調べ知るごとに、悲しみ怒り恨みに絶望の嵐にさいなまれ、私はほとほと参ってしまったのである。
 たとえば、台所で洗い物をしていてとてつもない疲労感におそわれシンクにつっぷしてしまったり、怒りに駆られ鍋を床にたたきつけたり、夜、バルコニー(3階)でここから落ちて入院したら寝ていられると考えてみたり・・・
 夫にも娘にも犬にも心配をかけたのだが、ブログで四コマ漫画「アメリカは今日もアレだった」を描き始め、あらためて気づいたことがあった。私は、この家族のおかげでなんとか生活し、息をついているのだ。夫の優しさ、娘の明るさ、犬と散歩する時間。それが私の正気を保ってくれる。
 去年の帰省は、母の事件の様々な手続きをするためもあり、その前の帰省からわずか半年後という頻繁な旅になったのだが、「一人で日本へ行きたくない」という私の願いを聞き入れた夫は旅費を借金してまで一緒に来てくれた。ありがたいことである。
 さて今年、私はもうすぐ帰省する。母から500万円をさらっていった訪問販売業者との裁判で、証人尋問を受けるためだ。だが、今回はどうしても家計に余裕がなく、私と娘だけの旅になる。お転婆な娘だけだと私の狂気を誘うのだが(笑と汗)ぜひ無事にこの旅をしおおせたいと願っている。
去年はみんなでとことこトレイン(錦町)に乗った
(2012年6月)



Vol.64 サマーキャンプだ!

 アメリカの学校は、6月の中旬から9月初めまでが夏休みになる。2ヵ月半から3ヶ月という長丁場だ。これは親にとって気の遠くなる時間で(笑)特に共働きの家庭は毎日の子どもの居場所をしっかり確保しなければならない。アメリカでは、12歳以下の子どもだけで留守番させるのは違法なのだ。
 そういうわけで、子どもたちはサマーキャンプへ行くことになる。キャンプといってもテントを張って飯ごう炊さんするあれではなく、日帰り・泊まりで勉強・スポーツ・アート・サイエンスなど、もはや一大産業といえるほどの充実ぶりだ。
 しかし、このキャンプ、料金が高い! 日帰り・週五日で二千ドル(20万円感覚)のハリウッド映画スクールに一ヶ月参加したら、100万円の大出費。他にも乗馬とかヨットセーリングとか、お高いキャンプはたくさんある。
 我が家はボンビーなので、こんな豪華キャンプには娘を行かせられない。一番安い地元の公立小学校のデイケアセンターが開く夏休みクラスを選んだ。これでも一日30ドルするので週に三日だけの縮小体制だが、水族館・博物館・植物園などへお出かけする追加料金が週に10ドルかかる。
 ちなみに、“スヌーピー“漫画の男の子チャーリーブラウンも妹のサリーも、サマーキャンプが大嫌い。これは作者のシュルツ氏の投影で、氏が第二次世界大戦に徴兵された時「サマーキャンプに行くみたいだ」と言ったとか。うちの娘は反対に、家にいるのが大嫌い。出好きのキャンプ向き人間である。
3年前に行ったロサンゼルス自然史博物館にもキャンプでバスツアー。
(2012年7月)



Vol.65 帰省とファミリー・サポート

 7月の2週間、日本に帰省していた。以前の記事でも触れたが、悪徳訪問販売業者との裁判に、証人として呼ばれたためだ。(ちなみに認知症の母を襲った訪販業者は数社あり、被害総額は二千万円にのぼる・あせ)
 今回の帰省は、旅費の工面がつかず私と娘の二人だけ。だから私が用事で出かける時は6歳の娘の預け先が必要だった。特に裁判の日、車を持たない私はタクシーと電車とバスを乗り継いでいくので、8時間にわたる子守となる。
 それで役場に相談すると、柳井市社協に事務所があるファミリーサポートセンターを紹介してくれた。これは“育児の援助を受けたい人(依頼会員)と行いたい人(提供会員)がお互いに会員になって有料で援助しあうシステム”で、一時間当たり実質500円で子どもを預かってもらえる。
 さっそく申し込み、弁護士と打ち合わせの日と裁判の日の二日間、平生町のMさんが娘を送迎つきで世話してくださった。素敵なMさんご夫婦に娘はすぐになついたらしく、図書館に行ったり、海辺でボール遊びをしたり、おばあちゃんにお手玉を作ってもらったりと、「日本の家族」を満喫したようだ。
 私が様々な用事で忙しいぶん、娘にはほとんどが退屈な時間だったこの帰省。でも、Mさんご一家とセンターのあたたかく力強いサポートで、楽しい思い出ができた。また、私にとってはたった一日の「休暇」だった週末、下松や光に連れ出してくれたTさんとお子さんたちも、本当にありがとうございました。
Mさんのおかげで七夕かざりもできたよ。
(2012年8月)



Vol.66 レディはドレイ

 先月、わたくしは似顔絵描きになることを決め、めでたく「ビジネスレディ」となった。これは事業許可証をとりにいった市役所で言われたのだから間違いない。
 だが、このレディ、じつはドレイだった・・ということに私が気づくのはじきで、市への許可代、ロサンゼルス群へのファイル代、新聞公告代、保険料をおさめ、さらにはこれから所得税30%に消費税9%、事業税がかかってくる。働けど働けど、私のフトコロに残るお金なんてありゃしない! そう、まるで市や州や国のためだけに身を粉にする奴隷である。
 ともかく似顔絵描きになった私。アメリカではパーティが多いので、そこに呼んでもらってエンターテイメントを兼ね、お客たちのおみやげ似顔絵を製作するんである。
 この似顔絵には私なりの「売り」があり、絵のスタイルはアメリカ人にも萌え萌えの日本のまんが・アニメふう。じつは私は高校時代に漫画家を志し、漫画の読み描きで多忙なため柳井高校での授業中は静かに寝ていたというヒトである。大学では講談社に応募して入賞、賞金ももらったが、ちょうどその頃に情熱がさめ、挫折した。つまりは才能がなかったのである。
 
そんな私が娘のキンダーガルテンのイベントで、ボランティアでまんがふう似顔絵を描いたことから人にも勧められ、仕事となった。これも母の訪問販売被害ストレスで始めた漫画ブログ(アメリカは今日もアレだった)が呼び水となったのだから、塞翁が馬と言えないこともない。ドレイだけど・・
作品例。モデルは娘です。
(2012年9月)



Vol.67 4の書き方

 アメリカでは秋に新学年が始まる。私の娘もめでたく小学1年生になった。とはいえ前年から同じ敷地のキンダーガルテンに通っていたので、日本ほどピカピカの1年生というかんじはない。
 キンダーのうちから彼らは読み書き計算を学ぶ。数字の書き方もきちんと学ぶのだが、「4」の書き方が日本とは違うのだ。日本では、この活字に近い4を書く。が、アメリカは漢字の「女」から「一」を引いて全てをまっすぐ立てたようなカタチを書くのである。
 そういえば、私がアメリカ人に4を含む数字を書いて見せた時「これは何?」と聞かれ、“あんたがパソコンでも見慣れた4そのまんまじゃ!!“とムッとしたことがある。だが、彼らが学校で習った正しい4は違うのだ。これは「9」と間違われないようにするためらしい(4ってちょっと9に似てるよね)が、アメリカではその9を「q」のようにまたまたまっすぐぶっ立て、再び4に近づけてしまうというご苦労さんぶり・・。日本は9の棒を斜めに書きますよね。
 少し調べてみると、フランスでは7の斜め棒の真ん中に横棒を入れるとか、国によって微妙に違う数字の書き方がされる。しかもアメリカでもフランスでも、大人の手書き文字は非常にいいかげんで汚い!ということは共通しているらしい。
 アメリカ人よりもきれいなアルファベットや数字を書く日本人はステキだなあと、「4」を見ながらフト思う秋の日である・・・
ウキウキで教室へ向かう小1の娘。
(2012年10月)



Vol.68 似顔絵ネットショップ開店!

 
9月の「レディはドレイ」という記事で、私が漫画ふう似顔絵描きの仕事を始めたことを書いた。厳しい税金や経費などのため、手もとに残るお金が極端に少ない“極貧“アーティスト(私のことね)は、お金がどんなに貴重なものか身にしみて感じる今日この頃である。
 たとえば、何千円かの買い物をするとしよう。以前なら「ああ、夫の時給ぐらいか」と軽く考えていた(すまん、夫よ)のが、今では「ぎゃっ! 10似顔絵もするのッ!!」と、自分の労働を貨幣単位にドケチ計算するようになったのである。
 そんな極貧似顔絵描きではあるが、作品の評判は悪くない。「かわいい」「かっこいい」「よく似てるー!」と人々に喜んでいただけるのが、私の原動力である。
 
というわけで、このたび、全世界に向けて(笑)インターネットでも似顔絵のお仕事を受けたまわることにいたしました。興味を持ってくださるかたは、拙まんがブログ「アメリカは今日もアレだった」http://ameblo.jp/amerikawa/ から案内していますので、ご高覧いただければ幸いです。
 ちなみに、平生町広報「町長室の窓」にある山田町長さんの似顔絵は、十数年前に私が描かせていただきました。長きに渡り掲載してくださり、たいへん感謝しています。
娘の親友とその似顔絵
(2012年11月)


Vol.69 歴史の授業
 
 早いもので、来月には今年はもう“歴史”になってしまう。
 アメリカ人と結婚し、アメリカの永住者となった私だが、日本が犯した“悪の歴史”を理由に近隣諸国が日本を憎悪の対象、じつは政略として様々に攻撃してくるのを、いつも辛く悲しく悔しく感じている。
 そのたび思うのが、彼らが憎む日本の過去を、日本人の私はまったくきちんと知っていない、ということなのだ。お恥ずかしい話だが、私は第二次世界大戦でアメリカに一方的にしかも卑怯に戦争をしかけたのは日本だと、単純にそう思ってきた。アジアの近隣諸国のことでもそうだ。なぜなら、真実何があったのかという歴史、右にも左にもできるだけ偏らない客観的な事実を正式に知らされていないから。
 
その”正式“であるべき学校の授業では、今に直結した近現代史は教科書の一番後ろで、学年末にはいつも“時間切れ“でカットされた。それが国策なのかもしれないが、これでは歴史を学ぶ最も大切な意義―過去を知り、あやまちを繰り返さず現在と未来に生かす―を骨抜きにしたただの暗記競技ではないだろうか?
 私は前から思っているのだが、歴史の授業では現代をスタートにできないだろうか? つまり、あまりに遥かな縄文時代ではなく、今、この我々の時代から始める。今がこのようにあるのは、どうしてなのか。彼らはどのようにこれを行ったのか。それはいったいどういう事情から来たのか。ぼくたち・わたしたち自身につながる過去をさかのぼっていく授業です。
ロサンゼルスの日本村。日本がどの国とも平和な未来を築けますように。
(2012年12月)






いぬのこうまちゃんPony the Puppy