ひらののアメリカノート Vol.4

アメリカで、アクはどのように暮らしているか

日本人であるみなさんなら、灰汁(アク)の存在をご存知であろう。
灰汁・・・・・・
・・・ホラ、アクよ・・・・・・

フウ。今日はたまたま日本人ではないアナタのためにあえて説明すると、たとえば楽しい鍋パーティにて、まずはかたい白菜の芯やニンジンやシイタケなどを投入しますね。そうすると、それらが煮えてくるうち、スープの上にフツフツと白い泡アワくんが浮かんできますね。それが、灰汁である。

その灰汁を、おたまでせっせと勤勉にコマコマちまちまと取り除く。それは、わたくしたちの暗黙の「お約束」。アクを取らないコーヒーなんて・・・もとい、アクを取らない鍋なんて、日本人として許すべからざる極悪非道鍋なのである。

さてと。ここで、下の写真を見ていただきたい。

英語ばかりな点をのぞいたら、まったくおんなじ風景がうれしなつかしハウスのジャワカレーさんである。日本人向けスーパー「MITSUWA」にて購入した。
そしてこれが、箱のウラに書かれた「おいしいカレーの作り方」である。

注意深くこれを読まれた炯眼の読者の皆さんなら、もうおわかりであろう。
てゆーか、アアッ 今急いでんのー・時間ないのよー!! というアナタのためにかいつまんで説明させていただくと、
日本語の「作り方」「A」の文中 
 沸騰したらあくを取り 
の あくを取り の部分が、英語の説明書きの方ではみごとに欠落しているのである。

・・・・・・・アクを取らないカレー・・・・・・
・・・・・・・それは、アクを取らない鍋と同じくらい、極悪非道なカレーなのではないか・・・・・

そう判断したわたくしは、ある夕方、夫の友人夫婦が夕食兼遊びに来た際に、準備しておいた「チキンなすニンジンマッシュルームセロリたまねぎキャベツ@ジャワカレー&バーモントカレー」(ルーを2種類以上混ぜるとおいしいのだ)をおもむろに出し、「うまい!」「絶品!!」「エクセレント!!!」という賞賛の嵐の中で、謙虚にもさりげなく、アクのことを話題にのぼらせてみた・・・

「え? アクって、なに?」
「Bitter taste? それはビールの苦味のことか?」
「いちいちスープの上のアワアワをすくったりしないよー」

そーなのである。きゃつら、もとい彼らには、アクの認知がない。したがってとうぜん、料理の王道アク取り作業なども存在しないのである。

それに衝撃を受けたわたくしは、アク取りは料理の基本中の基本である! アク取りは悠久の時間の中ではぐくまれた日本の知恵である! おまけにアクには発ガン性物質が含まれているという科学ニュースだって聞いたぞ!
と、ついコーフンしてしまったのだが、それにしても、アメリカにはアク取り文化が無いなんて、ちょっとした世界ふしぎ発見である。

てゆーか
もし、自分がアクだったら・・・・
と、アクの立場になって考えてみてほしい。

もしも自分がアクだったら、ほんのちょっと存在をあらわしただけで忌み嫌われ「あ・ちょっと待って・もう少しココにいさせて・・」という願いもむなしく捕獲され駆除され永遠のブタ箱行きになってしまう生活と、ん?アンタがなにをしよーが我々はいっこーにかまわんよ・つうかアンタそこにいたの?でんでん気づかなかったねー・つうかそもそもアンタいったい誰よ? という生活と、どちらがいいだろうか?

良くも悪くもとにかく一瞬でも人々の注目をあつめ、悲しいけれど斬られ役としての存在意義を自分なりにかみしめつつ暮らす毎日と、誰も見てくれない・・気にしてくれない・・話しかけてもくれない・・・いいんだ・・どーせ自分なんて、いてもいなくてもどっちだってかまわないんだ・・・・・・というような、心の底からしずまりかえってしまうような冷え冷えとした毎日と、アナタならどちらを選ぶだろうか?

ということで、今日はみなさんに、アメリカでアクたちはこんなふうに暮らしているのだということをわかっていただき、彼らのためにほんの数秒間でも温かな思いを馳せてもらえたならば、わたくしはたいへんうれしく思うのであります。


(2004.5.28)(アメリカ時間)
ちなみにこの衝撃のアク・レポートは反響をよび、日本人でもアメリカ人でもアク取りするよ・しないよ、と様々なご意見が・・
さらにYuriさん(ロンドン在住)から、イギリス人は食器を洗う時に「すすぎ」をしないのよー・よってアクなんか全然気にしなくってよー。というコメントをいただきました。

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外国で、親友はどのようにゲットするか

・・というタイトルを自分でふりながらではあるが、それにしても「親友」と「ゲット」という言葉とは、まあなんとそぐわない組み合わせではないか? それはまるでツイードのスーツを着てビーチサンダルをはき、ワカメのみそ汁にイチゴプリンを混入させ、シャワー後の体をティッシュ・ペーパー2枚でふき取るようではないか。

前置きはこれくらいにして、日本にいた頃、私の小さな町やその周辺にも、外国からきた人々がいた。日本語がまだよくわからない彼らは、とうぜんのようにオドオドとして見える(とゆーか、実際オドオドしている)。そして上手く話せないので、無口でシャイで、おとなしく見える。
さらに、まだ友人知人が乏しいので、孤独でさびしげに見えたりもする。

例えば、そんな東欧美人や中国美人を見て、ふだんはうだつの上がらないおっさん(おっさん=成年男子のくだけた表現)が、
「よーし!何でもワタシに聞きなさい!ワタシがぜんぶ面倒みてあげるからね!ホラ、ワタシってとっても有能でしょ!日本のことなんでも知ってるでしょ!!」
そしてさらに皮一枚下では、
「・・くふふ・・そうしてやがて二人は熱い仲に・・・うふふふ・・」
などと勘違いすることも、きっとあるのであろう・・と思う。

この東欧美人とおっさんを、ハンサムボーイとごく一部の日本女性、とゆーふーに入れ替えてもよいのだが、人は外国に来たからといって、それまでの嗜好や人間を見る目をけっして大きく下方修正したりはしない、と私は思うのだ。彼らは生まれ育った国でつちかった教養と経験を持っており、そのレベルを下げることなく、我々を見るだろう。
彼らに
 さびしけーりゃ えーぶりばでぃばでぃばでぃ♪  でしょ?
などと期待するわけにはいかないのである。

のではあるが、実生活での彼らはやはり言葉や習慣がわからずにキョトン・・、としていることが多いので、気の毒にもその人本来のレベルより「ずっと下」に見られてしまいがちなのだなー。
・・と、日本の役所で外国人登録の仕事をしている時などに、わたくしはそんなことを感じたのだった。


・・・・んで。
気がつけば現在、私自身がその「外国人」になっている(汗)
そうだ、私もきっと本来の自分以上に(以上に?)キョトン、オドオド、ロンリイ・・、などに見えるにちがいない・・


こんなことを今回書いたのは、夫であるぼぶっちが、私にアメリカで親友がいない・・・というのを、最近になってやけに心配しはじめたからである。

日本での私は、勤務に創作にと秒刻みのスケジュールをこなしていた(ほんとか)せいもあって、「アタシ毎日誰かと遊んでるう・メルアド100人分持ってるもんん♪」な交友は避けていた。友だちをあわてて「作る」わけではなく、時と状況の流れの中で、自分の好みと感覚に合う人々と出会って、今も親交を続けている。

だから、ここアメリカで、とりあえず今のところ「親友」がいなくても、私はいっこーにかまわないのである。
さびしけーりゃ えーぶりばでぃばでぃ♪ な親友ゲットをしなくても、いっこーに平気なのである。
つか、そんな自分の好みもへったくれもない押し付けのお友だちは、はっきり言って迷惑だし・だいいち時間がもったいないでしょ・てかバカにしてんのかキミィ? なのである。
親友というものは、これから私が少しずつ活動を広げていく中で、いずれ自然にめぐりあうこともあるだろう、・・・たとえば私のビーグル(来年「ゲット」希望)を連れて行ったドッグランで・・・ たとえばイタリア・ボローニャでのイラストコンクール入選パーティ(夢見たっていいじゃないか!)で・・・・ と、目を細めて(細めなくてもいいけど)思うのである。

でも、外から見た私は、きっとキョトン、オドオド、ロンリイ、ボケエエー・・としてるんだろうなあ・・

(ため息)

なのである。


2004.10.20(アメリカ時間)